ヒットラーに心酔し、絶対服従者であったアイヒマンの性格、運勢。
アイヒマン・ショーという映画を観た。
アーリア民族の優位性を訴え、600万人のユダヤ人虐殺のそのプランを組み立て、ある意味で坦々と実行した人物。
自分は忠実に従っただけで、何らの罪意識を持たず最後まで無罪を主張した人物。
1人を殺せば殺人者になり、数百万人に単位で殺せば英雄ないし愛国者になる。
僕には最終決定権が無いので責任は自分にないという考え方。
チャプリンの映画、独裁者にいうまでもなくヒットラーは独裁者でありアイヒマンは、絶対従順者であった。
1906年3月19日 - 1962年6月1日
ドイツの親衛隊(SS)の隊員。
最終階級は親衛隊中佐。
ドイツのナチス政権による「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担った。
戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、1960年にイスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行された。
1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、同年12月に有罪・死刑判決が下された結果、翌年5月に絞首刑に処された。
アイヒマンの運勢はゼロ学では水星人。
*水星人・・勝つために努力を惜しまず、競争心旺盛。ライバルと競っているときに目覚ましい集中力を発揮。冷静な判断力で危機的状況を見抜き、逃げ出す要領の良さがる。社交性抜群。
1960年は彼の「0」の時。
*0・・・季節に例えると「冬」。環境も厳しく、雪嵐の様にトラブルが襲いかかる。事業の失敗やリストラなど苦境に立たされやすい。積極的な行動と焦りは禁物な時期。
「精算」の年(1961年)の「0」の月12月に死刑判決。
翌年、絞首刑。
「壬」生まれ中心星、「傷官」と「印綬」。
切れ者。
本人そのものは、別段、悪人になる要素はない。
やはり人は誰に従ったかによるのであろうか?
彼はヒットラーに従ったのである。
次にヒットラーの運勢を診てみよう。
1889年4月20日 - 1945年4月30日
ドイツの政治家である。
指導者原理に基づく党と指導者による独裁指導体制を築いたため、独裁者の典型とされる。
「丙」日生まれで月干に「戊」があるので、
太陽の明るさは大きな山で隠れることになり先が見えない運勢。
詐欺師、悪人になりやすい運勢。
命式は「食神」2つ、「傷官」2つ。
吐き出す星4つ。
演説がうまい。
喋りの扇動で人々を巻き込んだ。
敵を造りナチスドイツの頂点に立つ。
幼少時は学校の規律に従わない問題児。
年柱が「傷官」2つからみても反抗的な性格になる。
丙の「傷官」は不平不満に傾く。
パンの為に働くことを嫌い芸術家を目指す。
放浪生活を繰り返す。
なぜか徴兵義務を逃れ、親からの遺産等で数年間、遊んで暮らせた。
これは「食神」2つからきている。
ワーグナーに心酔し、暇に任せて多くの偏った知識を身につける。
それが人種理論や反ユダヤ主義であった。
徴兵を逃れる為に自らの貧困を訴える嘘を書き連ねている。
25歳から45歳に「乙」「甲」があり月干の「戊」を押さえ徐々に浮上。
1933年にドイツの首相。44歳の時。
0学の「充実の年」に1933年7月、ナチス党以外の政党を禁止。
健康状態は、「食神」の隣に「偏印」があり、「偏印」は別名、「食神」を倒すことから「倒食」と言われように大病になる運勢。
胃痙攣、不眠、とめどない放尿、足の湿疹。
最後の1944年頃にはパーキンソン病、震えに加えて猫背になりよちよち歩きであった。
悪なる業の積み重ねは、時間の経過とともに現象化する。
不道徳の極みである。
マヤ暦を通して、アイヒマンとヒットラーの関係性をみる。
ヒットラー
K47 青い手 黄色い太陽 音8
アイヒマンからみて、ヒットラーはガイドをしてくれる「ガイドKIN」の関係。
ガイドという名の通り、自分を導いてくれる人。
良いことも悪いことも身をもって教えてくれる存在である。
ガイド側が一方的に参考にしている、好ましく思っている「一方通行」の関係であり、
反面教師として良い方向へ進むことができなかったのが残念である。
当時、ドイツ人もほとんどの人物が従った。
フィリピンの前大統領が習近平をアジアのヒットラーと叫んでいたが、日本人は要注意しなくてはいけないであろう。
最後に私の知人の見解を紹介したい。
アイヒマンは、600万人といわれるユダヤ人をアウシュビッツの強制収容所に送った指揮官です。
アルゼンチンに逃亡しましたが、モサドによって捕まり、戦後処理の国際裁判所に連行された時は、
世界中の人々がこの人物がどんな悪人なのかと思い、彼に集中したという。
ところが、彼はどこにでもいる平凡で小心な小役人タイプの人だった。
彼は、「上の命令をただ忠実に実行しただけで、私は無罪だ」と、死刑判決に抗議した。
それを聞いて、人々は期待がはずれ、戸惑ったという。
処刑後、アイヒマンはいかなる服従の心理に基づいて働いたのか、学者の研究対象となり、役者の演技によって擬似的に作り出された。
権威の下にどれほどの服従を人間は見せるのかが実験で試され、「アイヒマンテスト」と呼ばれるようになった。
エール大学のミルダラム博士が1963年に大学の研究屋に被験者男女それぞれ40名をあらゆる年齢層と職業から選び出し、ある男に電流を流すのである。
電圧を段々上がるように命令するとその男は隣の部屋で悲鳴をあげるのである。
そして、その悲鳴は被験者に聞こえるようになっている。
それでも上から電圧をあげるように指示されると、それぞれ40名中26名が最高の460ボルトまで、命令に従って、上げ続けたという。
これは、人間と言う者がいかに上からの命令に弱いかと言う”yes man”の実験である。
アイヒマン心理については、一応肯定します。
大衆心理、群集心理、情報操作により心理誘導なども広くアイヒマン心理に同期するのではないかとも思われます。
特異なものではなく、ごく日常的な中に一般的に潜んでいる心理現象の延長線上に顕現するものであるため、
正常と異常の境目があいまいではっきりしないため、研究した人々は驚愕を隠すことができなかったものでしょう。
正常と思われる組織論理の延長線上にアイヒマンが立っているわけですから驚いたのでしょう。
ただ、アイヒマンにとって致命的な欠陥があったとすれば、彼にとって神(ヒットラー)に対して彼は一切検証をしなかったという一点でしょう。
その部分が決定的に思考停止したまま、組織論的権限を行使していったのでしょう。
そして、下から呈示される疑問に対して、官僚的に一切耳を貸さず、命令だけを(事務的に)伝えたのでしょう。
ある意味、彼にとって一番楽なことだったと思われます。
組織論的合理性をふまえていたので、彼は一切良心の呵責を受けなかったものと想像されます。
また、呵責を感じたとしても裁判の法廷の場では、一切の内的葛藤を隠蔽して、断固として無罪を主張したのだと思います。
法廷の場は、そのようなものです。
実存的不安の告白は命取りになるので、そのようなものの一切を論理的に否定したのでしょう。
ただ、このことを論ずる場合、ナチス=絶対悪、同様にヒットラー=絶対悪、600万といわれるユダヤ人虐殺は事実のという前提の上で
アイヒマンの異常性を論証しようと議論が展開されていることに、私は少し疑問を感じます。
アイヒマンの異常性と私たちの日常性の類似性を協調するあまり、共産主義はどうなのか、
連合国側はどうだったのかという分析の影が薄くされているように感じます。
だれかがなにかを隠しているように思われるのです。
わざとそのように「レッテル貼り」をしているように思えます。
それをしているのは、ユダヤ人そのものかも知れません。
600万人虐殺されたはずなのに、ユダヤ人の人口は減っていないという情報もあるのです。
陰謀とは言いませんが、ユダヤ人=(完全な)被害者という論理式はあまりにも単純すぎるのです。
世界や歴史はそんなに単純な論理式では表せないと思うというのが私の感覚です。
アウシュビッツでわざわざ高価なチクロンBを使う必要はありません。
その毒性の影響は当然ドイツ兵にもあったとおもわれますが、そのような報告は皆無のようです。
火葬設備も一日に数千人も処理するにはあまりに貧弱(処理不可能)なものであり、
収容所の最深部は未だに非公開・・・
などの知りうる周辺情報から、ユダヤ人と連合国の談合のようなものがあったのではないかという仮定も可能性を持ちます。
収容所での死因はほとんどがチフスだったというのがおそらく史実でしょう。
アイヒマンに限らず、作為的に戦争をさせたルーズベルトや
↓
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/fce93545125696bebb8f2a84f07e56c2
二種類の原爆を意図的に日本に投下させたトルーマンなどこちらのほうがより「狂気」と呼ぶべき「悪」なのかも知れません。
勝った側にとって、戦後体制を固めるために(戦勝国側の優位性を半永久的に確保するために)どうしても日本やヒットラーを「悪」としなければならなかったのでしょう。