三島由紀夫と東大全共闘の映画を観て。三島由紀夫の運勢は。
先日、三月二十日、日比谷シャンテにて50年後の真実、三島由紀夫と東大全共闘のドキュメンタリーを観てきた。
三島由紀夫1925年1月14日午後9時10分生まれ。
日干、戊(つちのえ)日。丑月水旺の生まれ。旺の逆転により、土旺になり劫財ー劫財となり
日支、比肩となり旺令である。いわゆる身旺になる。
旺の逆転という観点があればこそ三島由紀夫の真実の姿に迫ることができる。
従来の四柱推命では中心星は正財ー印綬となり身弱となって彼の真実の姿は全く見えない。
通変の調和という観点からみれば、27歳から37歳までが大運が庚辰乙となっており食傷とか官がめぐっており最も作家として活躍していた時期になる。
37歳から大運は辛巳丙となり日干、強であり通変は調和しているが辛巳は力にならない。更に47歳からの大運は壬午丙で通変が調和せず、45歳で市ヶ谷で自決したのである。
1968年の東大全共闘との対話で、三島由紀夫は当時の日本が共産主義によって権力を奪取されるのではないかと強い危機感を持ち、盾の会を設立した。
その主な趣旨は日本の国体である天皇陛下に殉ずること。共産主義を敵とすること。日本人であること。エコノミック アニマルと化した日本、物質万能に対する嫌悪であった。
三島由紀夫という、かくも著名なる作家が命がけで問いかけ実行した事実を今一度振り返り帰る必要があると思われます。
グロバール化した日本の中で混迷の象徴でもあるコロナウイルス。中国という独裁共産主義を隣に持つ日本。
三島由紀夫は今どう考えているであろうか?
1925年1月14日21時
時柱 | 日柱 | 月柱 | 年柱 | |
天干 | 癸 | 戊 | 丁 | 甲 |
地支 | 亥 | 戌 | 丑 | 子 |
通変星 | 正財 | 印綬 | 偏官 | |
十二運 | 絶 | 墓 | 養 | 胎 |
蔵干 | 壬 | 戊 | 癸(己) | 癸(己) |
通変星 | 偏財 | 比肩 | 正財(劫財) | 正財(劫財) |
関係 |
大運は順行で7年立運です。
年齢 | 0 ~ 6 |
7 ~ 16 |
17 ~ 26 |
27 ~ 36 |
37 ~ 46 |
47 ~ 56 |
57 ~ 66 |
67 ~ 76 |
77 ~ 86 |
87 ~ 96 |
天干 | 丁 | 戊 | 己 | 庚 | 辛 | 壬 | 癸 | 甲 | 乙 | 丙 |
地支 | 丑 | 寅 | 卯 | 辰 | 巳 | 午 | 未 | 申 | 酉 | 戌 |
通変星 | 印綬 | 比肩 | 敗財 | 食神 | 傷官 | 偏財 | 正財 | 偏官 | 正官 | 偏印 |
十二運 | 養 | 長生 | 沐浴 | 冠帯 | 建禄 | 帝旺 | 衰 | 病 | 死 | 墓 |
三島由紀夫
三島 由紀夫 (みしま ゆきお) |
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31歳(1956年)
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誕生 | 平岡 公威(ひらおか きみたけ) 1925年1月14日 日本・東京府東京市四谷区永住町2番地(現・東京都新宿区四谷4丁目22番) |
死没 | 1970年11月25日(45歳没) 日本・東京都新宿区市谷本村町1番地(現・市谷本村町5-1) 陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地 |
墓地 | 日本・多磨霊園 |
職業 | 小説家、劇作家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
教育 | 法学士 |
最終学歴 | 東京大学法学部法律学科卒業 |
活動期間 | 1941年 - 1970年 |
ジャンル | 小説、戯曲、評論、随筆 |
主題 | 古典美、日本の雅 超越的な美意識、悲劇 生と死、肉体と精神 大和魂、文武両道 |
文学活動 | 日本浪曼派、第二次戦後派 耽美派 |
代表作 | |
主な受賞歴 | |
デビュー作 | |
配偶者 | 平岡瑤子 |
子供 | 平岡紀子、平岡威一郎 |
親族 | 松平乗尹(五世祖父) 三好長済、永井尚志、松平頼位、橋一巴(高祖父) 平岡太吉、永井岩之丞、瀬川朝治、橋健堂(曾祖父) 平岡定太郎、橋健三(祖父) 平岡なつ、橋トミ(祖母) 平岡梓(父)、倭文重(母) 平岡千之(弟)、美津子(妹) 橋健行、橋行蔵(伯父) 平岡萬次郎(大伯父) 大屋敦(大叔父) 平岡萬寿彦、磯崎叡、永井三明(父の従兄弟) |
サイン | |
ウィキポータル 文学 |
三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日- 1970年(昭和45年)11月25日)は、日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。血液型はA型[1][2]。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家である[3][4][5]。『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたテレビ番組に初めて出演した日本人でもある[6]。
満年齢と昭和の年数が一致し、その人生の節目や活躍が昭和時代の日本の興廃や盛衰の歴史的出来事と相まっているため、「昭和」と生涯を共にし、その時代の持つ問題点を鋭く照らした人物として語られることが多い[7][8][9]。
代表作は小説に『