セブン&アイ、人事騒動。鈴木氏、伊藤氏、井阪氏の3人の関係性は・・・
セブンイレブンの後継者をめぐってひと騒動が起きた。
カリスマと言われた鈴木敏文さんの突然の退陣。
鈴木氏、伊藤氏、井阪氏を占いの観点からみてみる。
丙日に生まれて「正財」1つ、「偏財」2つ、中心星「偏官」。
中心星の「偏官」は短期で激しい性格、激動期に強く直感力が働く。丙生まれで大運が53歳から30年間、巳・午・未は身旺の期間。この期間が終わった鈴木氏は、運気が途切れる時にあたる。
財の星3つは商売大好き。一生辞めたくは無かったのでは・・。
座右の銘は「変化対応」といわれるごとく軍人のように激しい檄が何度もとんだであろう。
鈴木の座右の銘は「変化対応」である。鈴木は中学1年のときに太平洋戦争の敗戦を経験、戦争には勝つと思っていたのが玉音放送の1日で全てが覆った。社会は変化するから適応していかなければならない、しかしどう変化するかは常にわからない。だから他人に依存せず自分を大切にすることが出発点になる、と考えている。
Wikipediaより抜粋
鈴木氏のマヤキン番号Kin107 青い手 赤い蛇 音3
このキンナンバーは、斎藤一人氏と米大統領候補トランプ氏も同じである。
伊藤雅俊氏
伊藤雅俊氏
月の柱に刧財が二つ 養子に行った人かと思われた。
その理由はここ。
※姓が伊藤に変わるのが28歳の頃で、『伊藤』は母の死別した前の夫の姓。
※母・ゆきの最初の夫は、大阪日日新聞(現・毎日新聞)の記者で伊藤忠治といったが、病気で早く亡くなった。その後、金子専蔵と再婚し伊藤雅俊が生まれる。そのため伊藤雅俊には父親違いの兄姉が3人いる。
※異父兄の伊藤譲が母の弟・吉川敏雄がやっていた洋品店を暖簾分けしてもらう形で、浅草に店を持った。これが羊華堂・浅草店であり、イトーヨーカ堂のルーツである。
参考文献『私の履歴書 経済人38』
マヤキン番号Kin92 黄色い人、黄色い人音1 道を究める。
商人道を究めドラッカーと親交。
Contact: Drucker MBA Japanese Websiteより抜粋
伊藤雅俊氏は、イトーヨーカ堂、セブン-イレブン、デニーズなどイトーヨーカ堂グループの創業者であり、現在はセブン&アイ・ホールディングスの名誉会長をなされています。
お客様を第一と考える彼のこの商売人哲学は、イトーヨーカ堂グループにおいて、合言葉「同業他社より顧客に視線を向けろ」としてしっかり貫かれています。
伊藤氏は幼い頃から、イトーヨーカ堂の前身「羊華堂洋服店」を開業されたお母様とその経営を手伝った年の離れたお兄様の後ろ姿を見て、商売の厳しさを感じ育ったそうです。お母様の教えで、彼が経営の基本に据えた考え方があります。それは「『お客様は来てくださらないもの』『お取引先は売ってくださらないもの』『銀行は貸してくださらないもの』と考えなさい」という教えです。「だからこそ、信用を大事にしなければならないのです。信用の担保はお金やモノではありません。人間としての誠実さ、真面目さ、真摯さがあって初めて、信用していただけるのです」という彼の言葉には重みがあります。また次の言葉からは、彼のその誠実さ、真面目さ、真摯さが伝わってきます。「イトーヨーカ堂を支えてくださったのは、まず誰よりお客様です。それに取引先の方々、従業員の皆さんの力でここまで来られたのです。私は自分が人より優れていると思ったことは一度もありません。ただ小売業が好きで、母と兄に教えられた『お客様の方を向いた商売』をコツコツと続けてきただけです。」
伊藤氏とピーター・ F ・ドラッカーは互いに尊敬しあう 30 年来の親友でした。
ドラッカーが日本を訪れたとき、逆に伊藤氏が米国を訪れたときは必ず一日共に過ごし、世界経済や日本経済、伊藤氏が実際に直面している課題などについて議論を交わしたそうです。
井坂隆一氏
食神3つ 食品部門の担当が長い。食神ゆえか。
キン番号Kin74 白い魔法使い 白い世界の橋渡し 音9
・1980年 青山学院大学法学部卒業後、セブン-イレブン・ジャパンに入社。商品本部食品部シニアマーチャンダイザー、取締役商品本部食品部長、取締役執行役員商品本部食品部長、取締役常務執行役員商品本部食品部長を経る。
・2009年5月に代表取締役社長(最高執行責任者)に昇格、同時に㈱セブン&アイ・ホールディングス取締役に就任した。前任の山口俊郎は退任し、顧問に就任。
Wikipediaより抜粋
マヤ暦で3人の関係性をみてみると、
鈴木敏文氏の「青い手」と伊藤雅俊氏の「黄色い人」とで「類似キン」。
鈴木敏文氏の「青い手」と井阪隆一氏の「白い魔法使い」で「神秘キン」。
鈴木敏文氏の「赤い蛇」と井阪隆一氏の「白い魔法使い」で「類似キン」。
「類似キン」とは似た者同士、感覚や考え方が似ている関係性。
「神秘キン」とは互いに惹かれあう存在、刺激あいがある関係性。惹かれ合うがゆえに、激しくぶつかりあうときや、無性に腹が立つときもある。
鈴木氏からみれば、伊藤氏、井阪氏ともに関係性があり、特に井阪氏との関係性が強い。強い反面、ぶつかりあうことがあったのだろう。
流れはあったが、井阪隆一氏はトップで運勢は強くない。
更に伊藤雅俊氏が井阪隆一氏の側についたが金星人であり真冬の真っ只中。
井阪氏は身旺ではないので、鈴木氏のようにはいかないのではないだろうか。
木星人なので手堅い経営を。。。
「91歳vs83歳」内紛で激震セブン&アイの暗雲 (毎日新聞)
http://mainichi.jp/premier/business/articles/20160408/biz/00m/010/036000c
越川宗亮 シンクロ通信 4月9日 より抜粋
日本を代表する会社での人事騒動だけに、
後味の悪さだけが残ります。
《<ないない尽くしのプレゼント>。セブン&アイ・ホールディングス創業者、 伊藤雅俊名誉会長は母の教えをそう呼び、肝に銘じたという
<お客様は来てくれないもの、取引先は商品を卸してくれないもの、銀行は貸してくれないもの> 。東京・下町のわずか2坪の洋品店「羊華堂」 を6兆円企業に育てた人は、 甘えを許さない経営者として知られている
二人三脚で歩んだコンビニ業界のカリスマ、鈴木敏文会長が騒動のなか、退任する。伊藤氏の心中は、 先の教えに照らせばいかがだろう
鈴木氏は主導したセブン―イレブン・ジャパンの井阪隆一社長を退任させる人事案が取締役会で否決され 、身を引く決断をした。 伊藤氏の承諾を得られなかったことが大きいという
鈴木氏の記者会見は潔しとも映るものの、社内では「独善的」だとの批判も高まっていたらしい。お客、取引先、銀行はいざ、 退任劇をどう受け止めたか
どうしてもCMのフレーズが耳にこだましてくる。“イイキブン”ではなかろう》
(読売新聞 “よみうり寸評” 4月8日)
鈴木会長は会見で「取締役会で井阪社長が『いかに自分が一人でやってきたか』 という話をしていて呆れてしまった。 このままでは禍根を残すと思い、 今日の取締役会後に退任を決意した」と語り、 井阪社長との対立があったことを認めています。さらに「 創業家の伊藤家の意向もあるが、世代が変わったということ」 とも述べ、 辞職の背景にはイトーヨーカ堂の創業家である伊藤雅俊名誉会長が 、井阪氏退任に反対したことを示唆しています。
今回の人事問題に関しては様々な報道がされています。また、これからも話題に上るでしょう。ただ、 どこまでも本当のことは当事者でない限り、分かりません。
創業者の伊藤雅俊名誉会長は1924年4月30日生まれ K92 黄色い人 黄色い人 音1。鈴木敏文会長は1932年12月1日生まれ K107 青い手 赤い蛇 音3。井阪隆一社長は1957年10月4日生まれ K74 白い魔法使い 白い世界の橋渡し 音9です。
「紋章」や「銀河の音」の関係性は極めて大事ですが、ここで注目したいのは3人の「人生の13年サイクル」です。 伊藤名誉会長はK27がまわり、 今月30日の誕生日からK132となります。これは「 青い変容の13年サイクル」 の1年目から2年目への流れを意味しています。
鈴木敏文会長はK242で「青い時代の8年目」、井阪社長はK184「青い時代の2年目」がまわっています。 今回の騒動のポイントとなる3人はすべて「青い変容の時代」 の真っただ中にいることがわかります。
ここで「青い変容の13年」はどう生きることが望ましいか、掘り下げてみましょう。まず「変容の時代」 といわれるように大きな変化が起こりやすいタイミングです。 それゆえ、自分の考えや思いにとらわれない「柔らかい心」 が何より必要です。
江戸から明治の混乱期を見事に生き抜いた広岡浅子も常に言い続けた「柔らかい心」です。また「青い時代」 はパートナシップの時代でもあります。 より深く理解し合うことが大きなポイントです。いつも以上に、 決して避けることなく、しっかり向き合い、 密にコミュニケーションをとる。 これに尽きるのではないでしょうか。
互いに心からの折り合いがつくまで、徹底的に話し合う覚悟が問われます。互いに、 自分の意見や主張だけを述べているだけでは進展がありません。
日本には古来から素晴らしい言葉がたくさんあります。そのうちの一つである「雨降って地固まる」。今回の騒動が、 そんな結果につながりますように・・・。