【西田厚聰氏】運気を失うべくしく失った東芝歴代社長たち①
シャープの再建に続いて再建を模索してきた東芝は、室町正志社長が一年も経たないうちに退任する。
2015年7月に社長に就任して今期の株主総会で退任。
東芝社長に綱川氏が昇格へ 6月就任、業績回復へ新体制:朝日新聞デジタル
不正会計問題は、2008年の西田厚聡社長の時代からはじまる。
次いで佐々木則夫社長。
西田氏、佐々木氏によるゴタゴタ。
いわゆる権力闘争。
そして2013年西田厚聡氏の院政の中で田中久雄社長、室町正志社長と続く。
この人物達の0学占いからみると、東芝は歴代の社長が運気を失うべくして失ったといえる。
全てに時がある。
その時に、判断を狂るわされる時がある。
1943年12月29日生まれ
未年の「人気年」生まれ。
「氷王星」である。
*人気年生まれ・・・最高の運気から人生が始まっている。華やかで注目を浴びやすい。環境、人に恵まれやすい。恵まれているだけに、それに甘え努力を怠りがち。いざという時に打たれ弱い。
*氷王星・・・華やかで社交性が抜群だが、甘え体質の面倒くさがり屋な側面も。
2005年に社長に就任するが、いわゆる2009年のサブプライムローンを発端としたリーマンショック、世界的金融危機とぶつかり、2009年西田氏が「0」の時に社長を退任した。
有名な「チャレンジ」といわれたパソコン事業において50億円の利益水増を行なった。
利益の水増し
ーーーWikipediaより抜粋ーーー
西田が社長在任中にパソコン事業幹部に対して圧力をかけており、その結果、2008年に50億円の利益水増しが行われたと指摘された。
2008年度はパソコン事業の目標として営業利益312億円の達成を掲げていたが、製造トラブルにより利益が大幅に減少していた。
この事態を受け、西田は全社月例報告会が開かれる度に「こんな数字恥ずかしくて公表できない」「死に物狂いでやってくれ」と繰り返した。
2009年1月の全社月例報告会においては、パソコン事業の幹部に対し100億円以上の利益かさ上げを要求した。
追い込まれた幹部らは、利益を前倒しして計上することで不正なかさ上げを行うに至った。
その後も西田は圧力をかけ続けたため、幹部が「実力以外の前倒し効果で利益をかさ上げしている」と述べてその実情を説明したにもかかわらず、その後も西田は態度を改めることはなかった。
第三者委員会はこうした過去の経緯について調査を行い、西田ら歴代社長は直接の指示はしていないものの、実現するのは到底難しいと思われる業績目標の達成を「チャレンジ」と称して幹部らに強く迫っていたと指摘した。
その結果、西田、佐々木則夫、田中久雄の3代の社長の下で、不正な会計処理が組織的に行われていたと結論づけた。第三者委員会を率いた上田廣一は、東芝における一連の不正会計の内容に驚き、調査終了後に「日本を代表する会社がこういうことをやっていたということで、それなりに衝撃を受けた」と回顧している。
なお、西田が圧力をかけた理由としては、ライバルである日立製作所に比べて業績が見劣りしたからだとされている。
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東芝を組織ぐるみで不正に走らせた魔の言葉「チャレンジ」:毎日新聞
2008年は西田社長の「背信」の時であった。
*背信・・・新規に何かを始めようとすると、様々なトラブルに見舞われやすい時期。事態を好転させようとして下手にもがいても結果を悪化させやすい。
社長在任時代に出身事業幹部に対し圧力をかけた。
「0」の時に社長を退任し、次期社長は佐々木則夫氏に変わった。
*0・・・季節に例えると「冬」。環境も厳しく、雪嵐の様にトラブルが襲いかかる。事業の失敗やリストラなど苦境に立たされやすい。積極的な行動と焦りは禁物な時期。
つづく・・
◯東芝歴代社長◯
2005年(平成17年)6月 - 西田厚聰が社長に就任。
(再開年就任→0地点で退任)
2009年(平成21年)6月 - 佐々木則夫が社長に就任
2013年(平成25年)6月 - 田中久雄が社長に就任
2015年(平成27年)7月 - 室町正志が社長に就任
2016年(平成28年)6月 - 綱川智が社長に就任へ