田村隆成「運命を拓く」

政治・経済などを占いの観点から研究しています。

東日本大震災から5年。日本を救った男、吉田所長のあの時の運勢は・・・

東日本大震災から5年がたちました。

心から哀悼の意を表します。

1万8000人にのぼる死者ならびに行方不明者。

更に追い撃ちをかけるように福島原発事故

今尚、多くの作業員の方々が努力しておられる。

 

「死の淵を見た男 」

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福島第一原発所長として最前線で指揮を執った吉田昌郎(まさお)氏。

作家   門田隆将氏によれば、吉田所長は、チェルノブイリ事故の10倍規模の被害に至る事態をぎりぎりで回避させ、文字どおり日本を救った男であった。

 

 

今回はこの人物の運勢を観た。

 

吉田昌郎 - Wikipedia

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1955年2月17日生まれ

日柱は己(ツチノト)、

月柱が「寅」「己」の場合、『巳・午・未』の月に生まれていれば身旺になるが、年柱は「未年生まれ」「寅」と「未」は三合に近い火になり身旺である。

中心星は『印綬』であり月上には『刧財』があり強運である。

日頃より偉ぶらず親分肌の人物で部下からの人望があった。

 

2011年3月は吉田所長の運気は空亡が「寅」「卯」であり、『木王星』。

真冬の真っ只中。

しかも2月、3月も空亡月

過酷なる試練の時であった。

にもかかわらず最大、最高の試練。

その時、その人物に全てがあらわれる。

 

吉田所長の偉大さがわかる。

冥福を心よりお祈りします。

 

  • 東日本大震災による福島第一原子力発電所事故では事故発生当時の福島第一原子力発電所所長として対応に当たった。当時原子力安全委員会委員長を務めていた班目春樹東京大学大学院工学系研究科教授は、所長の吉田が東京電力本店の命令に反して注水作業を続けていなければ、東北・関東は人の住めない地域になっていただろうとする[27]
  • 3月12日、海水注入開始後に、開始したことを知らされていない首相の菅直人が海水注入による再臨界の可能性について会議で取り上げたことを受けて、官邸の了承を得ず海水注入を開始したことを問題視した東京電力フェローの武黒一郎は、吉田に海水注入の中止を命じた。吉田はこの命令を受領しておきながら独断で続行を決意し、担当の作業員に小声で「今から言うことは聞くな(実行するな)」と耳打ちしたうえで、本社とのテレビ会議システムが稼動する中[注釈 2]で同作業員を含む周囲部下全員へ「注水停止」を号令し、実際には注水を継続させた[28](注水継続の根拠たるデータ等の客観的証拠は未だ示されず、あくまでも吉田自身の証言に基づくマスコミ報道による)。証言については、直前のテレビ会議で武黒一郎らなどの注水停止命令に対し吉田は継続を一言も主張もせず、その後、注水を停止したと長らく証言し、国際原子力機関(IAEA)の査察団が来日した際に注水を継続していたと翻意した。吉田は、翻意の理由を官邸や東電本社は信用できず、国際調査団なら信用できると最終的に述べている。
  • 3月13日東京電力の社内テレビ会議にて「2号機の海水注入ラインはまだ生きていない。そこを生かしに行くにはかなり勇気がいるんだけど、これはもう『爺の決死隊』でいこかということを今相談したんで」と発言している[29]
  • 会社内では普段「親分肌」、「温厚」な性格だとされていたが、原発事故の発生後は感情を表に出すことが増えた。4月上旬、1号機の格納容器が水素爆発するのを防ぐため、テレビ会議で本店から窒素ガス注入を指示された際には、「やってられんわ! そんな危険なこと、作業員にさせられるか」と上層部に関西弁で声を荒らげた。翌日には抗議の意味を込めてサングラス姿でテレビ会議に出席し、役員らを驚かせた[2]

吉田昌郎 - Wikipediaより抜粋 

 

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